友情【まなブログ for Life Goes On】

2016年は、これまでの人生の中で最も悲しい経験をした年だった。僕をアイアンマンに誘ってくれた仲間であり、かけがえのない友人が、初めて挑んだレースで帰らぬ人となったからだ。

その時の言葉にならない想いを、同じように感じた仲間がいる。その仲間たちとは、なんというか、言葉を交わさずとも通じ合えるような何かが生まれた。

互いに同じことを考えているけれど、あえて言葉にはしない。そうした感覚を共有して、互いに前を向いて生きている。

時に同じように、失った仲間を思い出して同じように悲しんでいる。けれど、それをあえて口にはせずに、何事もないように話していることもある…と僕は勝手に思ったりしている。

ヨッシー先輩とは、あれから何度もふたりで飲んだり、ふとした瞬間にあの時の話をしたり、一緒に走ったり、泳いだり、バイクに乗ったりしている。

そしてあの人のことを、口に出したり出さなかったりして、互いに互いを思いやりつつ、悲しみを共有しつつ、互いに前を向いている。

人生の先輩であるヨッシーさんとは、ふたりで会うたびになんとなく、あの人の話になることが多い。それは多分、あの人が何か結びつけてくれているものがあるのだろうし、この2人でなら口に出して良いか、という雰囲気にもなるからだろう。

ことあるごとに、気にして声をかけてくれる。僕も何かあれば、メッセージしたりする。

トライアスロンをしなかったら、絶対に会わなかった人。一緒の時間を過ごさなかった人。それは、あの人も同じだ。

なんかの縁で会って、一緒の時間を過ごして、そしてかけがえのない経験をしている。

あの人も、そういう人だったと思う。

僕らはなぜか出会って、なぜか一緒の時間を過ごし、そうして想像もしなかった今を作り上げている。ヨッシー先輩も、そういう人だ。

なんという奇跡。

これはそうして生まれた、友情というものが作り出す現象なのだろう。

そう思うのだ。

 

不調【まなブログ for Life Goes On】

ひさびさに調子を崩した。風邪のようだが熱は出ず、喉の痛み、鼻が出る…といった症状だけが続く。

加えて毎晩の忘年会の飲み疲れが効いたようで、試乗から帰ってそのままソファに倒れ込んでしまった。そしてその夜は忘年会もキャンセルして、ひたすら休養につとめた。

翌日の今年最後の朝スイムも何とかいったけど、泳ぎ終わってフラフラ。しかし病院では、大したこともないようで抗生物質などを渡されるのみ。

こうして不調になると困るのは、何よりトレーニングの計画が遂行できないこと。もちろん無理はしないのだが、今週ももう週末になってしまって1回も走っていない状況だ。

すでにこれを書いている時点で5日も走れてないのだが、こうなるともう振り出しに戻った感がかなり出てしまう。まぁ、スケジュールが狂うのはいつものことだが、それでも何もできないと気持ちもザワついてくる。

とはいえ少しでも早く不調とさよならして、走りを積み重ねないと。

東京マラソン2017の2月26日まではあと2ヶ月しかない…2ヶ月!

はやく寝なきゃ。

走る。【まなブログ for Life Goes On】

去年の今日、書いたブログを読み返した。2016年の東京マラソンに向けての決意が書かれている。サブ3.5(3時間半以内)で42.195kmを走ることを目標に。

結果的に2016年の東京マラソンは3時間46分だった。内容的には惨敗。30km以降で、それが来ると分かっていたのに抑えきれず、なんの対処もできないまま、最後は走れないところまでいってしまった。

その後の古河はなももマラソンで再挑戦したものの、ここでは3時間42分。内容はまたもや惨敗。そうしてマラソンのシーズンが終わったのだった。

そして来年、再び東京マラソンに挑戦する。長らく東京マラソンをサポートしているBMWの活動に賛同させていただき、走ります。

目標はもちろん、サブ3.5での完走。そのためにまたトレーニングをしっかりと積み始めた。

残りは12月、1月、2月と3ヶ月くらいしかない。が、その中で効果的に走り込んでいくことになる。

12月はまだベースを作る時期。ちなみに今週は、インターバル1000m@4’35(1キロ4分35秒ペース)/200m walk×7本。ペース走14km@5’00。そして週末に100~150分のLSD(8’00〜8’30)を行う予定だ。

今後もトレーニング内容を含めて、ここに記しておこうと思う。

思えば僕は4年前に初めてマラソンを走った時は、4時間50分くらいだった。そして翌年は4時間40分程度だった。そうして3年目にきちんとチャレンジすることを決めてサブ4(4時間以内)を達成し、今年に至る。今年は惨敗したが、来年にその悔しさをぶつけたいし、何より来年は今年の自分に勝ちたいなと思う。

大人の趣味として走ることは、あくまで自己満足の世界に過ぎない。しかしそうした自己満足の中で、いかに自分に忠実になれるかは、趣味以外の世界のことを考えるときに確実に役に立ってくるものでもある。

とはいえ、とにかく走る。何かに向かって走るということは、いつも僕を奮い立たせてくれるのだ。

サービス【まなブログ for Life Goes On】

最近、食事などに行くと、その店舗のサービスがとても気になる。というのも、特に食事をするような場合、お店の方とのやりとりが、そのお店を評価したり自分の中でのお気に入りになる際の、とても大切な要素になってくると感じるからだ。

先日、最近よく行くようになった居酒屋で、店員の方が日本酒を勧めてくださったその際、3本の日本酒をリコメンドしてくれたのだが、店員さんは「私はこれが好きです」と一本を指してくださった。なんだかとても真摯なサービスに思えて、その店員さんの好きな1本を選ばせていただいた。

その時に思い出したのだけど、いつもいくイタリアンのお店でも、フロアでサービスしてくださる方がワインをおすすめするときに「僕はこれが好きです」とひと言添えてくれる。お店的なおすすめのほかに、個人的なおすすめを、プラスαしてくれる。

こういうお店には自然と繰り返し足を運ぶようになる。そのお店の食事が美味しいのはもちろんなのだが、お店の方の、ちょっとした気遣いやサービスの良さがそれに拍車をかけるのだ。

もちろん接客が悪くても、供される食事に胃袋を掴まれて通う…という例もあるだろうが、それは稀なことだろう。そう考えると、気遣いやサービスが占める範囲はとても大切なものだと思えてくるのだ。

そして振り返って、自分はそのようなことができているのか? という問いが生まれる。

それはもちろん単純に前述したような感覚の他に、自分の仕事における、自分の領域において、他の方にどういった風に感じさせているか? ということでもある。

果たして…お店のサービスならば、クッキリと分かりやすく見えるものだが、自身の振る舞いはなかなか理解しづらい。

そして同時に思うのは、気遣いやサービスしよう、という気持ちがあってそうするのではなく、そうした感覚を気負いなく持てるかどうか? ということも大切だ。

それはつまり、自分以外の他人に対して、いかに興味がもてるか? の問題でもある。

あの人はこれから飲むお酒を迷っている…、と理解することがお店の方には求められる。ならば自分は、あの人は僕にどんな要件を伝えようか…というような想像も、ある程度は必要なのだろう。

もちろん、他人のことばかり気にして、自分のことがおろそかになっては本末転倒である。

が、自分のことだけを考えているのが一番ダメなことだろう。他人のことを、どれだけ想像できるか? 自分のことも忘れずに…。

そうしたことを考えていると、実に興味深いことに気づく。

食事をする場所でなら、もっとも大切なのは供される食事の中身がいかなるものかである。

が、気遣いやサービスが加わると、それはさらに再び来たい場所になるし、評価も高まる。

そう考えると、味ももちろんだが、そこにいる人がどうか?で、さらなるリピートや評価になる。

そしてそこに携わる人次第で、そこの味をさらに広めることができるし、その味をより効果的にお客様に印象付けることができる。

そう考えると、本質は大切だが、それをいかに表現するか、扱う人の資質で、いかに左右されるかがわかる。

つまり、いかに優れたものでも、それを扱う人次第と気づく。ならば創作物だけでなく、それを取り巻く物事の大切さにも気づくのだ。

自分も、そんな塩梅やサービスが(無理なく)できるような人になりたいと思ううのだ。