最近、食事などに行くと、その店舗のサービスがとても気になる。というのも、特に食事をするような場合、お店の方とのやりとりが、そのお店を評価したり自分の中でのお気に入りになる際の、とても大切な要素になってくると感じるからだ。
先日、最近よく行くようになった居酒屋で、店員の方が日本酒を勧めてくださったその際、3本の日本酒をリコメンドしてくれたのだが、店員さんは「私はこれが好きです」と一本を指してくださった。なんだかとても真摯なサービスに思えて、その店員さんの好きな1本を選ばせていただいた。
その時に思い出したのだけど、いつもいくイタリアンのお店でも、フロアでサービスしてくださる方がワインをおすすめするときに「僕はこれが好きです」とひと言添えてくれる。お店的なおすすめのほかに、個人的なおすすめを、プラスαしてくれる。
こういうお店には自然と繰り返し足を運ぶようになる。そのお店の食事が美味しいのはもちろんなのだが、お店の方の、ちょっとした気遣いやサービスの良さがそれに拍車をかけるのだ。
もちろん接客が悪くても、供される食事に胃袋を掴まれて通う…という例もあるだろうが、それは稀なことだろう。そう考えると、気遣いやサービスが占める範囲はとても大切なものだと思えてくるのだ。
そして振り返って、自分はそのようなことができているのか? という問いが生まれる。
それはもちろん単純に前述したような感覚の他に、自分の仕事における、自分の領域において、他の方にどういった風に感じさせているか? ということでもある。
果たして…お店のサービスならば、クッキリと分かりやすく見えるものだが、自身の振る舞いはなかなか理解しづらい。
そして同時に思うのは、気遣いやサービスしよう、という気持ちがあってそうするのではなく、そうした感覚を気負いなく持てるかどうか? ということも大切だ。
それはつまり、自分以外の他人に対して、いかに興味がもてるか? の問題でもある。
あの人はこれから飲むお酒を迷っている…、と理解することがお店の方には求められる。ならば自分は、あの人は僕にどんな要件を伝えようか…というような想像も、ある程度は必要なのだろう。
もちろん、他人のことばかり気にして、自分のことがおろそかになっては本末転倒である。
が、自分のことだけを考えているのが一番ダメなことだろう。他人のことを、どれだけ想像できるか? 自分のことも忘れずに…。
そうしたことを考えていると、実に興味深いことに気づく。
食事をする場所でなら、もっとも大切なのは供される食事の中身がいかなるものかである。
が、気遣いやサービスが加わると、それはさらに再び来たい場所になるし、評価も高まる。
そう考えると、味ももちろんだが、そこにいる人がどうか?で、さらなるリピートや評価になる。
そしてそこに携わる人次第で、そこの味をさらに広めることができるし、その味をより効果的にお客様に印象付けることができる。
そう考えると、本質は大切だが、それをいかに表現するか、扱う人の資質で、いかに左右されるかがわかる。
つまり、いかに優れたものでも、それを扱う人次第と気づく。ならば創作物だけでなく、それを取り巻く物事の大切さにも気づくのだ。
自分も、そんな塩梅やサービスが(無理なく)できるような人になりたいと思ううのだ。