カラダを動かす、ということ。【まなブログ for Life Goes On】

トライアスロンを趣味とするようになって、週のうちに2度泳ぎ、2〜3度走るようになった。カラダを動かすことはもはや、習慣のようになった。

けれど、バイクに乗る、というのは意外にハードルが高く、意識すると週に1度弱は乗れるのだが、フト気がつくと数週間乗っていない、ということも多い。

実際、先週2度乗っただけど、そもそもが1ヶ月ぶりであり、そうしたスパンにおいてはカラダも重ければ脚も回らずで、全くもっての体たらくを知るのだ。

でも、一応進化したなと思えるのは、カラダも重ければ脚も回らず、と分かることでこれはカラダを動かすことが習慣化してきて「動かさないと気持ち悪い」と思うようになってきたからだろう…と勝手に解釈した。

40歳を過ぎてから運動を始めただけに、進化というよりは維持、いや下がる一方の機能に対する抵抗…にすらなっていないかもしれない。ある意味重力や時間に逆らうのに等しい気がする。

けれど、動かさなければそれはさらにおぞましいことになるのもまた分かる。

そうして明日もカラダを動かす。

実はさらにその翌日に疲れが残るのだろうと思いつつも、動かずにはいられない自分には、なってきたような気がする。

果たしてそれが健康に良いのかどうかなんて、どうでもいい。

ただただ、その瞬間は気持ちよいような気がするし、自分もまだ何とか踏み止まって活動的ているように思える。それが精神的には良い方に効果している…と思いたい。

いや、少なくとも自分的には、カラダを動かすことで大分、心の平静が保てているように思えるのだ。