未来への一歩【まなブログ for Life Goes On】

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「未来への一歩」

最近、とても心に強く残った言葉だ。

それは、元オリンピックのMTB日本代表選手であり、現在はアイアンマンの世界選手権に5年連続出場している僕のトライアスロンの先輩であり仲間であり友人である竹谷賢二さんの口から出たものだ。

東京マラソンにおいて、サブ3.5(3時間半切り)を目指している僕の練習に竹谷さんがつきあってくれて、様々なアドバイスをしてくれた。

氏はスポーツの世界において、Dr.と呼ばれるくらいロジカルにトレーニングのことを話してくれる。自分の身体の動かし方について、極めて細かくチェックを入れて、それがいかに自身に影響を与えてくれるかを事細かに話す。一度では覚えきれないくらいに、様々なことを語る。もっとも氏は、そうして語ることで自分自身の理解としており、人に伝えると同時に自身の糧にもしている。そんな方だ。

特にMTBの元オリンピアンだけに、バイクにおけるペダリングについては圧巻で、ポジションの考え方に始まり、身体の各筋肉や関節の動き、動かし方、あるいは被験者そのものの不具合に至るまで、本当に事細かに話す。

要はロジカル。たぶんクルマのインプレッションを記してもらったら、非常にきめ細やかなものになるだろう。

そんな風にして、氏の話はとても論理的なのにもかかわらず、先日一緒に走っている時に、この「未来への一歩」という言葉が口から出たのだ。

一見すると、氏には似合わない情緒的な言葉だ。

もちろん実際のところは、これもまた論理的な話の中の言葉ではある。要はランニングをしている時に、自分は前方へ進んで行くわけで、そのためには歩を進める必要がある。ならば歩を進めるには、どの場所に足を置くのか?

その答えはつまり当たり前だが、走っている自分の目の前にこれからやってくる前方の路面である。だがそれは単純に場所であると同時に、時間軸で見れば先のこと…それをして、未来と表現したのだろう。

おそらく論理だけでいえば、未来という言葉を使わずに、目の前のその場所をなんらかの言葉で表現して伝えたり、あるいはランニングの足の動きの理論からのこの辺り…というだろう。そして氏ならば、いかにもそれを言いそうである。

が、実際に口から出たのは、「未来への一歩」。なるほどそれは、論理的にも正しいことながら、響きとしてとてもロマンを感じる。

僕はいま、東京マラソンに向けて練習を積んでいるけど、その時に苦しいながらも「未来への一歩」を踏み出しているのだ、と思うと、なんだかすごく勇気をもらったように感じて、自信になる。そして走り抜けた先の未来はとても素晴らしいものだろうと期待ができるし、またそうして僕は強くなり、もっともっと切り拓いていける人間になれる気さえする。

走っている時に、自分の足が未来を生み出していると思えたら、それはなんと素敵なことだろうか。そう思うほどに、

「未来への一歩」

という言葉がじんわりと染みる。

実際にはただ、マラソンを走るだけだし、そのための練習をしているだけ。だが、走るということには、どこか自分自身で積極的に、前へ向かって進んでいるような感覚がある。

それを思うとこの言葉は、まさに自分自身で未来をたぐり寄せるような感じがあるし、それを自分自身で行なっていると実感するから、気持ちがスッと軽くなるのだ。

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