様々な価値観が変わりつつある曲がり角に、現在はあるのではないか? と最近強く思う。
これまでは、魅力的な商品やそこから生まれるリッチな生活を世に送り出して消費を促すことで回ってきた時代だったが、もはやそれだけでは立ち行かない時代になりつつあるように思うのだ。
一生懸命仕事をして、お金をたくさん稼いで、美味しいものを食べて、珍しいお酒を飲んで、高いクルマやすごいクルマに乗って、広いお家を買って…というのはある意味、ひと昔前の価値観になりつつある気がする。
あえて書き連ねるならば、
仕事と趣味と生活をバランスよくして、お金は適度に稼いで、身体に良いものやたまに美味しいものを食べて、お酒は仲間と適度に楽しみ、楽しいクルマや気持ち良いクルマ、便利なクルマや安全なクルマに乗って、家はその時の状況で選んで…。
いやもっと、違う世界があるかもしれないがこれはあくまでも例えで、そんな感じで気負わない、自然な、それでいて充実した生き方が主流になりつつあるのではないか?
なんというか、前時代の人々が憧れていた豊かな生活はむしろ、イマドキとしてはトゥーマッチでメタボな生活に見えてきている気がするのだ。
先日、YoutubeLIVEでふと、楽しいクルマって何だろうね、という話をした時に、それって結局は乗り手の感性だからと、ポロっといったのだけど、20年以上に渡って仕事で様々なクルマに乗ってきた僕が改めて、良いなとか楽しいな、生活をともにしたいなと思うクルマを想像したら、超高級豪華絢爛なサルーンもスーパーカーも、豪華絢爛なSUVも、全く頭には浮かばなかった。もちろん、それが世の中にあるべきとは思うけれど、自分の生活とは無縁なのだろう。
あまりに安っぽくても嫌だけど、内容に対して適切な価格で、ベーシックで嫌味のないサルーンとかワゴンとか、シンプルで小さなスポーツカーとか、機能が充実したSUVとか、そういうクルマで十分と思えた。いや今時なら、安全とか、燃費が良いとか、そういうのも当たり前に必要だったりするわけ。またクルマだけでなく、そのほかにモーターサイクルに趣味で乗ったり、自転車を楽しんだり、ということも僕の描く生活には必要だろうと思えた。
10年くらい前には行っていたけれど、銀座のクラブで綺麗なお姉さんとお酒を飲む…というのも、今やそれほど楽しいとは思えないし、むしろ今ならもっと素敵な場所に行くとか、たまの美味しいものを大切な仲間と食べる機会をもったりとか…が良いなと思う。
日々の生活にしても、昔は遅く起きて遅く寝ていたけれど、良いことはほとんどない気がする。夜遅くまで仕事をすれば良いものができるわけでもないし、ゆっくり起きたら楽なわけでもない。
むしろちょっとツラいけど早朝に目を覚まして、なるべく早い時間に仕事をして、その後の家族との時間や趣味の時間に使った方が断然良いなと思える。というか、その方がむしろ仕事も良いことができると思う。むしろ夜遅くまで仕事をしている編集部とつきあうなら、早起きして原稿を送っても同じことで、僕までその営業時間に合わせて遅くまで仕事をする必要は全くない。
僕が思う理想的な生活にはもちろん、スポーツがかかせない。僕としては、毎日必ず何かしらのスポーツをして、週に1度くらいは完全に休養するような生活が良いなと思う。健康やリラックスを考えてもそれは良いと思うが、決してそれだけではなく、スポーツをしている自分と向き合う時間というのは言葉にならないのだけれど、間違いないプラスαを自分にもたらしてくれる何かがあると思うのだ。
昔からの僕を知っている人ならば、どの口が…とも思うだろうけれど、この数年で僕の生き方はそんな風に、これまでとはある意味180度変わった。で、その結果どうかといえば、身体も心も清々しいものを、少なくとも自分自身は感じている。
そういうことについても、今後はいろいろと記していきたいなと思う。これまではクルマについて記してきたけれど、もはやクルマそのものだけを記すのは難しい世の中になりつつある。とはいえ僕はクルマの世界の人間として生きてきたから、クルマを通した、今後のライフを語れるようになりたいなと、なんだかふと思ったのだ。
それが僕が最近、なんとなく思っていることだ。